企画展では、御殿があった二の丸跡や、高槻藩士の武家屋敷が立ち並んでいた三の丸跡から出土した陶磁器や漆器のほか、高山右近時代の障子堀とよばれる特殊な防御施設の紹介や、軒丸瓦や石造物、排水管などの出土遺物、城絵図、旧家や寺院に伝来した鯱瓦、永井家の家紋が入った伝天守の鬼瓦など約170点を展示しています。特に、年号や人名が墨書された石垣石や、キリシタン墓地出土の「二支十字(にしじゅうじ)」が記された木棺の蓋は、全国的にも出土例が少なく貴重な品です。
これらを通じて、ぜひかつての高槻城の雄姿を想像してみてください。
【高槻城についての解説】
高槻城の存在は16世紀前半から確認でき、戦国時代には和田惟政やキリシタン大名の高山右近らが城主になり城と城下町の基礎を築きました。江戸時代になると徳川幕府は京・大坂間に位置する高槻城を重視し、上方支配の一翼を担う城として、元和三年(1617年)に城の大改修工事を行ったことで三層の天守と櫓、石垣を要所に備えた近世城郭に生まれ変わり、慶安二年(1649年)には永井直清が入城し、以降13代約220年間にわたりこの地を治めました。大阪府下で江戸時代に本格的な城郭として存在したのは高槻城・大坂城・岸和田城の三城だけであり、高槻城は北摂唯一の近世城郭として京・大坂間の要衝を押さえる重要な役割を担ってきたと考えられています。
明治時代になると、明治七年(1874年)に石垣石を京阪間の鉄道建設に使用するために破却されるなど、城の遺構の大部分は地表から姿を消しましたが、戦後の発掘調査によって、本丸跡の天守台石垣、二の丸跡の戦国時代の堀、三の丸跡での武家屋敷跡や高山右近時代のキリシタン墓地跡など、地下に眠る高槻城の遺構が発見されていています。
【開催日時】
- 開催場所:高槻市立しろあと歴史館(高槻市城内町1番7号)
- 開催期間:5月14日(日曜日)まで
- 開館時間:10時から17時まで(入館は16時30分まで)※休館日は月曜日
- 観覧料:無料
【関連ホームページ】
しろあと歴史館 企画展「高槻城発掘ものがたり」【3月11日から5月14日まで】
(https://www.city.takatsuki.osaka.jp/site/history/83747.html)
【本件に関する問い合わせ先】
高槻市立しろあと歴史館
電話:072-673-3987※休館日(月曜日と祝日の翌平日)