──本日はインタビュー宜しくお願いいたします。
DRESSYは「運命のウェディングドレスを花嫁に」というドレス中心のwebメディアです。桂先生のウェディングドレスを見て、実際に着たいと考える花嫁さまが本当に多くいらっしゃいます。早速ですが、桂先生はなぜ、ウェディングドレスを作ろうと思ったのでしょうか?
桂:それは嬉しいですね。
ウェディングドレスを作ろうと最初から思っていたわけではないんですよ。
母が洋裁学校を経営していて、もともと私はそこを継ぐという話で、ファッションを学ぶ為にパリへ留学。
その時はまだ、全然ブライダルのことを考えておらず、
もしブライダルのことを考えてたら勉強の仕方も違っていたかもしれないですね。笑
もちろん元々おとぎ話が大好きだったのもあるんですが、本当にウェディングに携わることを決めたのは日本に帰ってきて、母の学校の講師になってから。
専門学校は2年制なですが、もう少し通わせて欲しいという生徒が300名くらい出てきて、
それで、特別専修科を作ることになり、科目を作るときに、「ウェディングドレス」を卒業制作の課題に出したことがはじまりでした。
桂:実際に、学生の買い物について行ったときビックリしました。
いざウェディングドレスを作ろうとなると、日本はオールナッシング、何もなかったんです。
その時、森英恵さんをはじめとした相当の方々が銀座に店を出し始めていて、日本のファッションはある程度まで進化していたのに、
結婚ってなると、とたんに「神殿」で「着物」で結婚式をあげます、という流れ。
そこで、一体どれくらいの人がウェディングドレスを着たいと思っているのか 調べてみたら3%しかいない。その3%というのは、外国人と結婚する人か、元々外国に住んでた人とかね、あとはクリスチャン。
ウェディングドレスは通常より何倍もの大きさの生地が必要で、レースも高価でした。下着はない、靴はない、手袋もない、ブーケももちろんない。白のハイヒールは当時、やっと出てきたのですが、だけど夏用しか出てなかったので卒業制作の時期には店頭には出ていなくて。お店の方にお願いして売れ残りを倉庫まで取りに行ったり、下着もワコールがブラジャーとかコルセットとか作ってるんですけど、ドレス用のインナーは全くなかった。花屋もフラワーデザイナーなんていなくて、当時もバラが主流でしょうけど、棘がたくさんあるから、素人には扱いが難しく、カーネーションをたくさん買って、自分でブーケを作って持たせました。
そんな中、生徒たちが、「先生、お店を開いて、困っている人がいるんだから助けてあげればいいのに」って言ったんですね。生徒がそう言ってくれたのもヒントになったんです。それでちょうどそのときに、各女子大でリサーチをしていただいたら、実は「40%の女性がウェディングドレスを着たい」と思っているっていう結果も分かっていて、、、
にもかからず現実には3%しかいない、というのも結婚式にドレスが着たくても親を説得できない。自分の親は説得できたとしても、一番発言権を持っているのはお姑さんでしたから。お姑さんが一言、嫌だと言えばそこで終わり。
当時の女性の多くはウェディングドレスを着たくても、周りに合わせて和装を選んでいたんですよ。
ともかく「日本はウェディングドレスに関して何もなくていいのか」ということは、ファッションを世界で学んできた私にとってとても気になることだったんですね。
とはいえ3%しかいないのはわかっていたからこそ、ビジネスとしてではなく困っている人を助けたいという社会奉仕のような気持ちでブライダルをスタートしました。
きっとビジネスでスタートしてたら1年くらいで終わっていたと思いますよ。笑
だってずっと赤字でしたから。
──たった3%の花嫁のために・・。とっても素敵です。そんな3%の方の為に、困っている方を助けたいというお話がありましたが、桂先生はどんな瞬間にウェディングドレスを作っていてよかったなと思いますか?
桂:そうですね、一つはやっぱりお客さんの喜ぶ顔を見たとき。
私のドレスを喜んで着てくれる人がいなければ、56年も続かなかったわけですから。「この写真見て下さい」とか「このドレスを着てみんなに褒められた」とかお客さんが言ってくださるときがもう1番ハッピーです。
もう一つは、私のウェディングドレスを最高だ、やっぱり他と違うと認めてくれたとき。今は、コロナ禍でいろんなファッションショーもできなくなってしまったけれど、パリコレで評価されるとかですね。特に印象に残っているのは、中国でのエピソード。中国は元々は婚礼は赤いチャイニーズドレスだったのが白になっていった。それも日本と同様、35年前、私が中国で初めてのブライダルショーで提案した『挙式で白ドレス、お色直しで赤ドレス』という白と赤の両立が中国の新しい結婚式の価値として、広まっていったこともとても嬉しい出来事のひとつです。
──コロナ前にあったショー、私もお伺いしました。本当に美しくて、ウェディングドレスはもちろんショーの世界観にも感動しました。
今まで出されたコレクションは、どのようなものからインスピレーションを受けていらっしゃいますか?
桂:出身が、共立女子大ですが、その時の先生方が「あなた本当にウェディングドレスやってよかったわね」と仰ってくれて、実は私が、高校でも大学でも力を入れてたのは歴史なんですね。特に世界のいろんな出来事や、ファッションの移り変わり。ファッションの勉強でも1番好きだったのが、服装史。その時代背景によってどんな服装になるのかというお話。
例えば、私が今までの仕事の中で1番、世の中の為になることをやったと思えることは
1981年にアメリカ・ニューヨークで日本でははじめて大きなショーをやったときですね。
ジャパンファッションフェアというイベントで、ウェディングドレスだけではなく様々な服飾関係の54のブランドが参加しました。
私は、服装史が頭に叩き込まれてたから、1981年はちょうどスカートがこれ以上大きくならないくらい大きくて、
その次にくるのは必ず細いラインのものがくると読んでいました。
世界のファッションの歴史はそうやって繰り返していたので。
そのため、1981年のニューヨークで初のコレクションでは作品の1/3を細身のドレスを発表しました。
後に、ニューヨークのバイヤーやマスコミから「ユミライン」と呼ばれるラインを出した訳です。
1981年当時に発表したユミラインシルエットのドレス(写真提供/ユミカツラインターナショナル)
でもそのときはちょうどロンドンからチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式の速報が世界中に流れて、結果としてはダイアナ妃が本当にロマンティックの最たるものと呼ばれるようなビッグラインのウェディングドレスを着用されていたので、偶然にも残りの2/3を占めてた大きなラインのドレスが人気となり、ニューヨークでメジャーなデパートで取り合いになったほど。
細身のラインは、その時全然注目されませんでしたが、2年経って流行が変わったときに、まだ細身のラインをだしているデザイナーは誰もいなかったので、大ブームとなりました。そのシルエットのドレスは着物のおひきずりをヒントに作成したユミカツラのオリジナルで、細身で上半身から身体にフィットしていて、膝から下はマーメイドラインのような広がりを持ったデザインでした。世界初のシルエットのドレスだったので私の名から「ユミライン」とアメリカ人が呼ぶようになりました。うちしかやってないから、ニューヨークからたくさんの方がオーダーをくれたのは良かったのですが、その2.3年後には安いコピーがたくさん出てきてしまいました。
今は全世界に「ユミライン」が広がっていて、トレンドになっておりこれは私の中でとても嬉しい、快挙のように感じています。
ユミライン誕生のヒントになった黒振袖のお引きずりスタイル(写真提供/ユミカツラインターナショナル)
現在 ユミラインも長袖、シースルーが定番に。袖など2WAY3WAYで着られるデザインの需要も高まっている 。ドレス:ユミカツラ オートクチュール フォー レンタル (品番AK10802)
──そんな多くの快挙や、新しいことへの挑戦をしている桂先生ですが、
ウェディングドレスの制作や様々な挑戦をしている中で大切にしていることは何でしょうか?
桂:うちのドレスは絶対に「品のないものを作らない」Grace、美しいって人々が感じてくれる「優雅な美しさ」Elegance、そして「夢のあるもの」Roman。私が作ったドレスは1番最初ロマンティックからはじまりました。私が小さい頃からおとぎ話が大好きだったのもあるけれど、そこから考えてみても、どんなデザインでどんな生地を使っていたとしてもこの3つだけは、大切にしていきたいと思っています。
ビッグラインも花嫁たちに大人気。オフショルダーは長袖にもベアトップいもチェンジが効く魅力のデザイン。ドレス:ユミカツラ オートクチュール フォー レンタル(品番AK10091)
──ずっとその3つを大切にされているんですね。大切にしながらも今日に至るまで、いろんなことを乗り越えられたと思うのですが、どんな風に乗り越えてきたんでしょうか?
桂:最初10年間は、私の月給はゼロでした。最初の1年は30着しか売れなかったためです。本当は100着注文はあったんだけど、さっきも申し上げように、本人が着たくて両親は説得できてもお姑さんのキャンセルが多く、70着はキャンセルになったからです。理由は、ドレスは安っぽいと言われて。
だからこそ「ウェディングドレスは安っぽい」って言われることがないように本物のパールをつけたり、最高級のサテンを使って、1億円のドレスをみんなに見せたりして「ドレス=安っぽい」というイメージを、払拭するための努力をしていきました。サロンに寝泊まりして家賃を浮かせたり、母の洋裁学校の講師をして午前、午後、夜間の部を受け持って給与をもらって生計を立てたり、たくさんのことを「花嫁さまのために」と思って一つずつ乗り越えてきたんですね。
──一つずつ、そうですよね。これからウェディングドレスや結婚式はどんな未来が待っていると、桂先生はお思いですか?
桂:すぐに変わることと、変わらないことがあるんだけれども、最初から人の生き方や個性が違うので百人百様でいいんですよ、お金の掛け方だって。
盛大にかけておとぎ話のプリンセスみたいにしたいって人もいれば、2人と家族だけでこじんまりとでもしっかりと感謝の気持ちを伝えたいだとか、それでいいと思うんですよね。それぞれで。
私がブライダルを始めた頃の日本は、百人百様ができなかった。誰かに気を使って結婚式をしたり、人と同じものをしなくてはいけなかったけれど、どんどん多様化が進んでいって結婚式でも個性が大切になってきています。
今回コロナが起きて、不幸中のことではあるけれど「結婚式が多様化する」という部分ではもしかしたらチャンスかもしれない。
──最後に、新型コロナウイルスによって、結婚式の延期や中止を余儀なくされる方が多くいらっしゃいます。
この特別な時代を過ごす花嫁さまへメッセージをお願いします。──
桂:子どもたちが少し大きくなるとお父さんお母さんの結婚式の写真を見せあったりすることもあるみたいで、ちゃんと写真を撮っていなかった方たちが写真を撮りにくるなんてことも時々ですけどあるんです。
やっぱり私は「何か」をやっておいたほうがいいと思うんです。それが例え2人だけの誓いみたいな場であっても、ちょっとしたウェディングフォトでも。今リモートやwebでやっている方もいるみたいですけどやっぱりそれはちょっと寂しさも感じますよね。今はこういう時代だから大勢集まるのは少し先になっちゃうかもしれない。だからこそ今は写真や小さな儀式で。少しだけ先になってもぜひ、直接会って結婚式でお祝いしあえたら嬉しいですよね。