みなさまこんにちは
岐阜ご当地ライターのせっちゃまです。
毎日の生活で大切なことは食事でありその食事を彩るのが食器であり、この岐阜県は日本の陶器生産で重要な役割を果たしている地域です。
その中でも美濃焼(みのやき)が有名で、美濃焼はその多様性と歴史の深さから日本の陶磁器文化を代表する存在となっており、長い歴史の中で育まれた技術と美意識は、多くの人々に愛されています。
美濃焼は、岐阜県東濃地域の土岐市、多治見市、瑞浪市などを中心に生産されており、今回は、この全国的に有名な美濃焼の歴史と人気のうつわ屋さんを14選いたします。
結婚のお祝いや新生活に岐阜県の特産品である美濃焼を取り入れていただき、デートを兼ねてすてきなうつわをえらびましょう。
陶器の歴史
日本における最古の陶器は縄文時代にさかのぼり、この時期の陶器は「縄文土器」と呼ばれ、縄目模様が特徴で、縄文土器は食物の調理や貯蔵、儀式などに使われ、厚手で装飾が豊かなのが特徴です。
弥生時代になると、「弥生土器」が登場し、弥生土器は縄文土器よりも薄手で、より実用的でシンプルな形状で、この時期の土器は農耕の発展とともに穀物の貯蔵などの用途が増え、機能性が重視されます。
6世紀頃(飛鳥時代〜奈良時代)には日本には朝鮮半島や中国から先進的な窯業技術が伝わり、高温で焼成できる窯が普及します。
その窯でできた陶器は「須恵器(すえき)」と呼ばれる陶器で色はなく灰色や黒色のシンプルな陶器です。
平安時代から鎌倉時代になると「灰釉陶器(かいゆうとうき)」が登場し、釉薬を使った美しい陶器が作られるようになり、鎌倉時代には中国の宋(そう)や元(げん)の影響を受けた「天目茶碗(てんもくちゃわん)」などが日本にもたらされ、茶の湯の文化とともに陶器の需要が高まります。
美濃焼の始まり
美濃焼の始まりは平安時代とされており、当初は主に灰釉(はいゆう)を使った簡素な陶器が作られており、その後、鎌倉時代には技術が向上し、青磁や白磁の技法が中国から伝わり、室町時代になると、大窯(おおがま)と呼ばれる窯が築かれさらに発展を遂げます。
安土桃山時代(16世紀末から17世紀初頭)は、茶の湯(茶道)の流行で茶陶も発展し、武人であり茶人であった古田織部が好みのうつわをつくらせたといわれ、鉄分を含む釉薬で黄色い色を出す焼き物の「黄瀬戸(きせと)」、黒い釉薬を用いた焼き物の「瀬戸黒(せとぐろ)」、白い釉薬に赤絵や鉄絵を施した「志野(しの)」、緑色の釉薬を使用した「織部(おりべ)」といった陶器が生まれ、美濃焼が誕生しました。
美濃焼は茶人たちに非常に人気があり、茶器としての地位を確立し、江戸時代には美濃焼の生産はさらに拡大していき、多くの窯元が設立され日本全国に向けた大量生産が行われ、庶民の生活にも深く浸透します。
明治時代には、文明開化以降美濃焼も変革を遂げて、西洋の技術やデザインが取り入れられます。
国内市場だけでなく輸出品として生産され洋食器の需要が高まっていき、これに応じた製品が多くつくられ現在では、美濃焼は日本国内外で非常に人気です。
1300年の歴史がある美濃焼の伝統的なスタイルを守りつつ現代のライフスタイルに合った新しいデザインや技術も取り入れており、現在では東濃地域には多くの陶芸家が集まり、伝統を継承しつつも革新的な作品を生み出し今日も多くの人々に愛されています。
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